キューバコーヒーとは? 希少コーヒー 等級などは?

こだわり

キューバコーヒーとは

肥沃な有機質土壌、熱帯の恵まれた気温、年間降雨量、昼夜の温度差など、栽培に必要な環境と条件が揃っているため、コーヒーはキューバ島全体で栽培されています。主要産地は大きく3つの山脈を中心とする地域に分かれます。収穫量の約70%が東部(シエラ・マエストラ)、約20%が中部(エスカンブライ)、約10%が西部(ロサリオ)と言われています。
カリブの光り輝く太陽と季節風がもたらす特有の穏やかな気候によって、優しい香味とマイルドな甘さを持ったコーヒーが育まれます。キューバ革命成功(1959年)後のキューバでは、外貨獲得のために砂糖・葉巻とともに、コーヒーは国家の重要な産品として大事にされてきました。

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希少コーヒーたるゆえん

✔米国による経済封鎖の影響
✔生豆の輸出は輸出公社が統合的管理を行い、輸入相手の選定と権限を任されているため
✔コーヒーの栽培適地ではあるが、近年気候変動の影響で大型ハリケーン被害がたびたび発生しており、生産量が不安定

以上の理由から、キューバ国のコーヒーは入手困難で希少となっております。

キューバコーヒーの等級

キューバ革命後の伝統的なコーヒー等級区分において、最高グレードのコーヒー豆はETL(Extra Turquino Lavado:エクストラ・トゥルキーノ・ラバード)と呼ばれます。

日本で有名な“Crystal Mountain:クリスタル・マウンテン”はETLの範疇の中でも、キューバ島中部にあるエスカンブライ山脈の山麓産のコーヒー豆の中の大粒のものを指し、のちに商業的に作られた区分です。従って同じETLの中でも、世界のコーヒー愛飲家たちの間では歴史的に後発のエスカンブライ山脈山麓産よりも、キューバ島南東部のマエストラ山脈(シエラ・マエストラ)産の方が広く親しまれています。

シエラ・マエストラ

※写真はWikiより引用

カリブ海地域最大の島国であるキューバにおける最大の山脈。西インド諸島に属するキューバ島の南東方をクルス岬からマイシ岬まで約250kmにかけて東西に連なっています。

山中には、銅・マンガンなど豊富な鉱山資源が埋蔵されていると言われ、北斜面は断層の地塊で成り立ち傾斜が緩慢ですが、南斜面は急な絶壁をなし、カリブ海に流れ込むような感じです。山脈の東にはキューバ第二の都市サンティアーゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)があります。また、この山脈は1956年以降にフィデル・カストロ率いる革命軍が、山中に「キューバ解放区」を作り、ゲリラ戦の拠点としていた地としても知られています。

峰の中の峰、王の頂 トゥルキーノ山

※写真はWikiより引用

マエストラ山脈(かつキューバ国の)最高峰がトゥルキーノ山(標高1,974m)です。キューバコーヒーの等級区分のトゥルキーノはこの山の名称に由来します。「峰の中の峰」「王の頂」などと称される名峰です。

革命軍指揮官としてこの山頂に立つフィデル・カストロの写真は世界的にもよく知られた1枚です。また、コーヒー愛飲家でもあり、「チームバチスタの栄光」で脚光を浴びた小説家 海堂尊氏の最新シリーズ「ポーラスターシリーズ」第三作『フィデル誕生』(文芸春秋社)の中で、「…見上げると雷神の姿が視界から消えた。フィデルが腕を伸ばし、身体を持ち上げる。次の瞬間、岩壁が消え目の前に雲海が広がった。

それはフィデルがキューバ最高峰、シエラ・マエストラの霊峰トルキノ山を征服した瞬間だった。」「シエラ・マエストラはキューバの守り神、トルキノ山はその王だ。かつて西ノ海から災厄が襲い、キューバを痛めつけた。だが今もキューバが生き続けているのは、シエラがキューバを守り続けてくれたおかげだ。俺はこのシエラを守るよう命じられたんだ」という描写が出てきます。

キューバ公教育におけるコーヒーの位置づけ

キューバの歴史の重要な一部として、義務教育の中でコーヒープランテーションの興りを教えることになっています。以下、教科書より抜粋。

『キューバ中学校歴史教科書(原題:Historia de Cuba 9no.grado, 2008)』
第Ⅱ部 植民地キューバ
第2章 1867年までの植民地キューバ
北米13州植民地の独立戦争とハイチ革命のキューバへの影響の項
・・・経済的、政治的、文化的なキューバ島の発展に貢献したもう一つの事件があった。1791年のハイチにおける奴隷の反乱である。
・・・奴隷の反乱と、それに続いて残虐な戦争が起きると、サトウキビやコーヒーのプランテーションは荒廃した。その結果、砂糖産業もコーヒー産業も破壊された。
これはキューバにとっては大きな恩恵となった。ハイチに代わり砂糖とコーヒーを世界に供給し始めたのである。
1975年から1805年までキューバにはハイチのプランテーション所有者や中間層などの多くの白人が移住してきた。彼らは主として東部に定住し、コーヒー農場に進んだ技術を持ち込んだ。・・・

ユネスコ世界文化遺産:キューバコーヒー農園発祥の地

『シエラ・マエストラ山麓の丘陵地帯の乾燥した気候は、コーヒー栽培には理想的である。19世紀に本格化したコーヒー農園の経営は、この困難な地形に挑んだ開拓当時の農業形態を今に伝える唯一の例証である。しかし、その労働力は100万人を超えると推測されるアフリカから連行された黒人奴隷であった。これらのプランテーションは、カリブ海およびラテン・アメリカ地域の経済、社会、技術の歴史を明らかにする上で大きな意義を有する。』(ユネスコ 世界遺産委員会ホームページより抜粋)

として、「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」はユネスコ世界文化遺産に登録されています。

キューバ革命とコーヒー


・キューバ革命前夜の挫折と革命の成功
フィデル・カストロ一派によるキューバ革命成功(1959年)前夜の大きな出来事の一つに、モンカダ兵営襲撃事件(1953年)があります。失敗ののち、フィデルとラウルのカストロ兄弟らはマエストラ山脈の支脈グラン・ピエドラ周辺(前述の「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」のエリアにあたります)に逃げ込み、殺害されるのを免れます。
これが消えかけた灯からのちのキューバ革命の成功の伏線となります。
(※数日後別の場所に移り、捕まります。刑務所に入れられ、のちに「断罪するがよい、歴史は私に無罪を宣告するだろう!」とフィデルの有名な自己弁護が生まれ、これが釈放につながり、メキシコへ亡命、チェ・ゲバラと出会うことになります)
1956年、メキシコに亡命していたフィデル・カストロは盟友チェ・ゲバラら仲間とともにキューバに戻ってきました。キューバに再上陸した一行は、着くなり政府軍の銃撃に遭い、命からがら逃走。仲間は大幅に減ってしまいましたが、しかしカストロは彼らに「勝利は近い」と演説したといいます。そしてマエストラ山脈山中で態勢を立直し、快進撃が始まります。 フィデルの言葉通り、彼らは2年半のゲリラ戦の末、革命に成功しました。
・生前のフィデル・カストロはスペイン生まれのフランスのジャーナリスト イグナシオ・ラモーネとの対談で、マエストラ山脈での初期ゲリラ戦について「最初は我々には、標高1,200メートルの樹木の生い茂った山中での戦いが適していると思われたが、次には平野、道路、コーヒー園、マンゴー畑、サトウキビ畑などで戦った。」と回想しています。
・キューバ革命成功ののち、革命政権の中心でフィデルを支えたチェ・ゲバラ。毎朝1杯のコーヒーとミルクプリンで急ぎ朝食を済ませる毎日だったと妻アレイダ・マルチの回想記にあります。

ZFT CUの取組

各国でのフェアトレードの取組がキューバ国政府に評価されたことで、コーヒー豆の輸出割当枠を獲得。そして、現在まで日本国内での流通量が少ないキューバ産コーヒー豆の直輸入を続けています。2012年の取組開始以来、キューバ革命の歴史が詰まった地 シエラ・マエストラ(マエストラ山脈)山麓産から調達しています。

フェアトレードを通じてキューバ政府に支払われる商品代金は、同国型社会主義の理念のもと国営公社の活動を通じて公共の利益のために役立てられます。
(コロナウィルスの流行により厳しい状況にある経済活性化のための原資として役立てられます)

今回紹介したキューバのコーヒーはこちらで購入できる

今回紹介したキューバのコーヒーというのは、こちらから購入することが出来ます。

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こちらが購入先となります。

オーナーである荻野 尚樹が厳選したフェアトレードに基づくコーヒー豆を入手し、焙煎したものとなります。

荻野 尚樹はブラジル珈琲鑑定士・CQI認定Qグレーダーであり、今回のコーヒーを焙煎しています。